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    2章 師匠と幼馴染が出会った日

     3


 笑顔が恐い。
 朝練をしている部活を横目で見つつ、グラウンドを横切る。隣には、笑顔を絶やさない莉子。
 なぜか分からないが、莉子は怒っている。それも、つついたら破裂しそうな風船並みに、怒りは膨れ上がっている気がする。
 莉子は、男はあまり得意ではないものの、女友達は多く、初対面でも、女の人ならば割りと普通に馴染める器量を持っていると、オレは思う。だが、あのリンを見る目、 普段の莉子なら考え付かないような、タレ目がツリ目になるほどの睨みっぷり。
 オレだって、ウマが合わないと感じる人はいるが、初対面でそこまで露骨に邪険にはしない。それに、リンは人懐っこい感じで、少なくともオレにはそういう印象はない。
 ただ、そのリンも変にドスが利いた声でオレに問うてきたり、今思い出しても赤面しそうだが、後ろから抱き着いてきたりと、行動が少しおかしかった。勿論、 リンとは知り合ってたったの二日、オレが見たものが全てとはかぎらないが。
「で、拓ちゃん」
 きた。
 しばらくただ笑顔で、一言も発しなかった莉子が、ついに口を開く。疑問点を考えるばかりで、言い訳というものを忘れていた。
「あのかわいい子、誰?」
 しかし、すぐに気づく。言い訳など必要ではない。何かごまかす必要もない。対峙した莉子とリンも冷静ではなかったが、オレも冷静ではなかったようで。
 莉子は大事な友達だが、それ以上の領域へ踏み込むことは、まずない。オレが望んでも、きっと莉子はオレなんかを受け入れてはくれないだろう。三角関係発覚、みたいな 変な想像をしてしまっていたオレだが、よく考えれば答えなど簡単だった。ありのままを話せばいい。
 にしても、戸惑ったとはいえ、なんて自分に都合の良い解釈をしていたんだ、オレは。今まで彼女なんていたことのないオレが、いきなり二人の女の子から好かれるなんて、 ありえない。
「えっと、あれは……」
「見たぜ、拓斗っ!」
 刹那、背後から水素並みに軽いノリの声がしたかと思えば、背中を擬音などではなく、本当にバシンと叩かれる。
「ひゃあ?!」
 それは隣にいた莉子にも適用され、驚いた莉子は、数歩ケンケン状態で進んだかと思えば、今日二度目の顔からダイブ。莉子は、ドジ度とタイマンをはれる臆病度 の持ち主なのだ。
「今日は薄ピンクっと。よう、拓斗」
 背後にいたことに全く気づかなかった。なんてアサシンなやつだ。
「……おはよ、秀也」
 もっとも、莉子が転んでスカートがめくれたのを見て、デリカシーのないことを抜かすこの男、天野秀也にそんなスキルなどあるはずもなく、ただオレが莉子にどう 話すか考えていたせいで注意が及ばなかっただけなのだが。
 とりあえず、朝のご挨拶。あいかわらず、ワックスちと付けすぎのツンツン頭。
 転んだ莉子も、身なりを整え、また少し恥ずかしそうな笑みを浮かべつつ、こちらへ戻ってくる。カバンの中身をぶちまけなかったところを見ると、校門前のあれは、 カバンが半開きにでもなっていたのではないだろうか。莉子なら、やりかねない。
「いつもヒドいよ秀ちゃん……おはよう」
「おう」
 まだ少し砂が付く制服を払いつつ、律儀にも挨拶をする莉子に、秀也は軽く右手をあげて答える。
 これも、いつもの見慣れたものが、いつもと同じに見えて、少し嬉しかった。
 秀也のこの行動、実はわざとだ。そして、毎朝とは言わないまでも、ことあるごとに今の行動を行い、莉子を驚かせている。今回のように、オレが巻添えをくうことも しばしばだ。
 この男の目的は勿論莉子のスカートがめくれること。莉子も莉子で、下に防御壁的なものをはけばいいのだが、本人曰く"かわいくない"らしい。実はM、なわけはないか。
 そうこうしている間に、本日二回目の時報。あと五分で教室に入らなければ漏れなく通称黄色カード、遅刻者名簿に名前を書かれてしまう。
「うっわ、やっべ! 拓斗、莉子、走るぞ!!」
 秀也のその声を合図にし、オレと莉子は、先に走り出した秀也を追いかけ、走り出す。
 オレ達は、小学校から三人一緒。オレと莉子はそれ以前からの付き合いだが、小学校に上がって、二人に秀也が加わったという具合。
 これがオレの日常、これからも三人で一緒にいたい。


「誰だよ、さっき手ぇ繋いで一緒に歩いてたの?!」
 早くも三人の絆崩壊の危機か。
 ホームルームが終わり、さっきはできなかった莉子への弁解、もとい説明を、一時間目の授業が始まるまでの間にしようとしていたのだが、そこに秀也が 割り込んできた。しかも、オレに素手で戦車に立ち向かえと言わんばかりの情報を持って。さっき見たと言っていたのはそのことか。 せっかく穏便に話を進めようと思っていたのに、そんなことを言われたらややこしくなる。
「拓ちゃん……」
 莉子も真に受けているし。
 これは早いうちに、その地雷男を倒さなくては。
「リンは、たまたま偶然まぐれで昨日知り合っただけで」
「女がダメな拓斗がもう呼び捨てかよ」
 普段は全く気にしないようなことに気づく秀也。なんでこういう時にかぎって。
「話せば長くなることがあって、リ……その女の子の家に行って」
「そういえば昨日、拓ちゃんの部屋の明かり、点いたの見てないよ……?」
 しまった、一瞬気が動転して言わなくてもよかったことを。莉子の家と隣同士であることが、こんなところで仇になるとは。
「それで気づいたら朝で……オレがうだうだしてたせいで手をひっぱられてそのまま……」
「ふむふむ、結局その家で一晩明かしたと。でも女に主導権とられるようじゃダメだな、拓斗。やっぱり男たるもの取るもんは取らんとな。勿論、付けるもんは付ける」
 微妙に情報の錯誤まで起こり始めた。いや、これは単に秀也がバカか、思春期の男子一直線かのどちらかかもしれないが。
「拓……」
 などと内心ツッコミを入れている場合ではなかった。だんだん莉子の雰囲気がおかしくなってきた。何か言う度に、奴のしかけた地雷地域を素っ裸で走り回っている気分になる オレだが、本当に何もなかったのだ、焦るな。
「だから、変なこと言うなってば! ただ親切にされただけだって!」
 親切にされたかは実際のところ謎だが、無駄に叫んでしまった。叫ぶと、本当に言い訳がましくなってしまう。
 心なしか、莉子の目が冷たい。冷凍庫に閉じ込められるほうがマシだ。秀也は、明らかに楽しんでいる。くそう。
「ま、まあ、どこで何してても拓ちゃんの勝手だよね。ごめんね」
「莉子……」
 しかし、オレが、少し困ったような笑顔を浮かべる莉子の発言を聞き、何か言おうとしたとき、待っていたかのように、チャイムがなった。一瞬憎んだが、実は救われたのかもしれない。

 結局この日、普段どおりのように莉子と接したものの、さっきまでの話をすることはできなかった。不思議と、面白がっていた秀也も話題にはしなかった。
 なぜなんだろう。自分の中に答えはなく、何が分からないのか分からない。
 授業中ふと気づいたが、オレは昨日から今朝にかけて起こったことを、全て否定、というか、悪く言うことを拒んでいた。
 本当に、なぜなのか。そんな中、一番気になったのは、話している最中、ずっと頭に浮かんでいた、リンの顔だった。  


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