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    3章 二人の師匠と腕試しの日

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 何かおかしい。
 リンから着替えのお許しをもらったオレだったが、よく考えたら着替えなど持っていなかったことに気付いた。それをリンに伝えると、風呂から上がるのが 早いことをカラスの行水と言うのならば、考える時間が短いことをリンの思考と名付けたくなるほどの早さで、
「じゃあレイちゃんのを貸してあげるよ!」
と言いつつ、レイさんの部屋へ向かった。
 女物というだけならばまだしも、"レイさんの"という核ミサイルのスイッチのようなものを着るのは世界の生き物全て敵にまわしたとしても断りたかったが、 次々と洋服を用意するリンを前に、そんなことは言い出せなかった。にしても、自分の物でもないのにそう易々と他人に貸すという行為は、どうなのだろうか。 たしかにリンのものはどうやっても着れそうにないが。
 聞いてから思ったが、ここはオレの家からそんなに遠くないのだから、一度帰ればよかった。一応親に三日間の外泊のことを報告しておかないといけないし。
 結局のところ、ジーパンなどはさすがにサイズが合わず学校の制服のままだったが、上は制服の下に着ていたワイシャツの代わりに、羽織るものを借りることになった。
 そして、追い剥ぎに遭ったとしても、財布を囮にこの服だけは死守するぞと決め込んで、その服を着るためにワイシャツに手をかけた。そこで、違和感を覚える。そのワイシャツは、 上から順々にボタンを外し、右手左手と順番に脱いだ。そう、普通にワイシャツを脱いだのだ。
 どこも燃えてはいなかった。
 そういえば、朝ごはんを食べたとき、何もなかったかのようにソファに座っていたが、あれも燃えていたはずだ。それなのに、ホクロほどの焦げもなかったと思う。勿論、 ソファは交換したと考えれば納得がいくが、リンのあの様子だととてもそんなことをしている余裕はなさそうだし、何よりこのワイシャツ、襟の汚れや一つボタンの ないところなど、まさにオレの着ていたものそのままだ。
 もしかしたら、魔法会、かっこ省略かっこ閉じ、にオレを入れさせるための、何らかの伏線とも考えたが、二人の説明が一度目が覚めたときのオレの感覚と一致していたことや、 やはり、リンの様子がそれを否定する。だいたい、あんなものをどうやって用意するのだ。まさか本当に魔法、いや、それはありえない。
「たっくとくん! 入ってもいい?」
 百階分の螺旋階段並みに思考が渦を巻きだしたとき、軽いノック音とともに、リンの声が届く。ちなみにここはレイさんの部屋だ。
 とっくに着替えは終わっていたので、ドアを
「じゃあ行くよ〜〜!」
開けようとしたのだが、ドアノブに伸ばしかけた手を、プロボクサーの右ストレート並みの速さで現れたリンの腕に掴まれ、瞬き一回半の間に玄関までつれて こられてしまっていた。なんのためのノックと問いかけだったのか。
 今さら気付いたが、なんでオレは律儀にも着替えをして、逃げようと考えなかったのか。この頭のネジが二、三本はずれて、さらに錆びれたネジが大半をしめていそうな 人達と付き合うのは、なぜなのか。
 どこへ向かうか分からないまま、またリンに手をひかれるオレは、そのことや、ワイシャツとソファのことを考えながら、螺旋階段の百一階目に差しかかろうとしていた。


「本当に、申し訳ありませんでした」
「ゴメンねぇ、拓斗くん」
 オレがリンにつれてこられたのは、リン達の家から五分ほど走ったところにある、いかにもらしい遊具と、周りの狭い道をもう少し広げたほうがいいんじゃないかと 思うほど無駄に広いグラウンドを持つ公園に来ていた。遊具の部分とグラウンドの部分は散歩用の道を挟んでそれぞれ独立していて、グラウンドの三方はその道、もう一方は 一車線道路に面している。ただ、その車道はさっきから見ているかぎり一台も車は通っておらず、また、四方にこのグラウンドに対しては小さすぎるのではないかと思うほど の申し訳程度に出入り口があるのだが、それ以外は木々に覆われていて、周りから隔絶されたように思える。
 人影もまばらで、グラウンドの端の方にポツポツと人がいるのだが、遠くて性別すら分からない。
 ともかく、そんな公園のグラウンドに来たオレだったが、待っていたかのよう金髪の女の人が現れ、リンと一言二言交わしたと思えば、突然二人揃ってオレに謝った。
「あの、えっと……何がですか?」
 やたら派手な服装に身を包み、先っぽに羽のようなものがもしゃもしゃと付いた扇子を持つ長い金髪の女の人は、全て回答を知っているテストを見るような目で、
「やはりリンさんは何も話しておられないのですわね? まったく……。あ、申し遅れました、私は雨宮アテナと言うものです。よろしくおねがいしますわ、拓斗さん」
 と、見た目にふさわしくなく、と言っては失礼だが、やけに丁寧にそう言い、少し腰を屈め、握手を求めてきた。
 やたら身長が高いことにも驚いたが、どういう構造になっているかよく分からない装束から少し露わになる胸に目を奪われた。実はメロンでしたという冗談が 言えそうだ。一瞬リンの胸と見比べててしまったが、辛うじて悟られなかったようだ。
「あのねぇ、拓斗くん。なんで拓斗くんがリン達といることになったか、って話してないよね?」
 そしてリンは、オレが雨宮さんにこちらからも手を出したとき、企業が経営不振のため今年のボーナスはなしと部下に告げる上司のような表情でそう言った。
 あまりされたくない話だ。魔法会なんてものに入る気は、原子の大きさほどもない。
「実はですね、リンさんと私のせいなのです」
 そう言われてもピンとこない。
「覚えていますわよね、一昨日の出来事を」
 続けてそう言う雨宮さんは、視線をリンの方へ向ける。
 一昨日の出来事といえば、下校中いつも通るあの公園での出来事のことだろう。聞きたいことの中心はそのことだったっはずだが、あとからあとから新しい事が山のように、 いや、山なら頂上があるからまだいいのだが、リンとレイさんの二人が揃うと、合わせ鏡のごとく増えていったため、何が聞きたいのか分からなくなっていた。
 ところでその公園はどうなったのだろうか。周りは田んぼなどで、家は数十メートル離れたところにしかないが、赤い何かやあの白煙。ちょっとした騒ぎになっても おかしくはない。もっとも、その家というのは莉子の家とオレの家のことで、その二つの家族でそういうことに気付きそうなのは莉子くらいだが。
「見たよね、拓斗くん?」
 リンは下から覗き込むようにオレの目を見る。上目遣いというものは、どうしてこうグッとくるものがあるのだろうか。思わず頭を撫でたくなるではないか。
「リンが魔法を使ってるのを」
 やはり、撫でるのはよそう。一区切り置いて出たリンのことばは、またしても犬猿したくなるようなものだった。そして、さらにリンの話を聞いていると、 これはもう地球上の病院、カウンセリングでは、門前払いならぬ門前お支払いは結構です状態になるような内容だった。
 まず、あの地震を起こしたのは雨宮さんだそうだ。やはりこの人も魔法会のメンバーだったということになる。そして、あの赤い何かはリン曰くリンが使った炎系の魔法で、 オレに向かって放ったのは、雨宮さんと間違えたからとのこと。さらにそのあとの白煙は雨宮さん、最後にオレを殴ったのはリンということだ。それもまた、雨宮さんと 間違えて。
「……結局は、リンさんと私のケンカだったのですわ」
 最後にそう括ったのは雨宮さんで、ボーナスなしと告げた上司のように深く頭を下げた。
 帰ってもいいだろうか。いや、帰らせてください。むしろ、オレが門前払いされたかった。
「まぁそういうわけだから、リンが拓斗くんの師匠になったんだよねっ!」
 これで全部分かったでしょ、と言わんばかりのリンは、ウィンクしつつそう言って、オレの右手を両手でつかんだ。オレは何も分かっていない。
「待って下さい! 魔法を見せてしまったものが師になるというルールならば、私が師になるのが当然。当たり前。完全無欠。それに、リンさんに師が務まるとは とうてい思えませんわ!」
 さきほどの二人の説明のときから思っていたのだが、この二人、妙に仲が悪い。といっても、ケンカするほど、で始まる常套句が思い浮かぶが、こういう場合当事者 からはたいてい否定されるので自粛する。
 そして、さらにそれを際立てるように、雨宮さんはオレの左手を両手でつかんだ。
「そっちこそ待ってよアテナ! 拓斗くんはずっとうちに泊めてたんだからねっ! リンが師匠になる方が自然だよぉ!!」
「何をおっしゃります、それは拓斗さんを気絶させてしまったからでしょう?! やはりここは私が師になるべきです!!」
 秀也、莉子、オレの中ならオレはツッコミ係りと自負する。秀也が前ボケ、莉子が天然の大ボケ、それにオレが抑制をかけるというカタチ。そんなオレなのに、
「ちょっと胸が大きいからってしゃしゃり出ないでよっ! アテナはほかの仕事で忙しいんでしょっ?!」
「む、胸のことなど関係ないでしょう! ちょっと若いからってそういうことを言わないでください!!」
これにツッコミを入れる勇気があるならば、世界の一つや二つは余裕で救える気がしてしまう。誰かオレと代わってはくれないだろうか。タダとは言わない、 今オレの財布に入っているうちの四分の一くらいならばあげてもいい。千円ちょいだけど。
「こうなったら力比べだよアテナっ!!」
「ええ、それしかありませんわねっ!!」
 オレがそんなどうしようもないことを考えていると、申し合わせたように同時に、二人はオレの手を離しテイクバックした。
 マンガか何かだったらこの場合、二人の目線をなぞるように火花バチバチ出て、周りが揺れださんばかりの勢いで睨みあったあげく、ありえないような闘争が始まるのだろう。 古典的だが、二人にはそんな雰囲気が流れている。ほら、本当に周りが揺れてきた気さえする。
「え?」
 揺れていた。ギャグみたいな展開だとツッコミを入れたくなるほどのタイミングで、地震が起こったのだ。地震は、段々と勢いを増す。
 そして、対峙する二人はそれをものともせず、互いに睨みあったままだ。少しも地震が起こったことに驚いていない様子。
 本当に、今すぐ誰かオレと代わってください。  


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