4章 魔法使い達の集いの日
1
どこへ行くのだろう。
昨日の帰り際、リンが朝になったらまた自分の家に来いと言っていたので、今そこに向かっているのだが、今日はどこかへ行くらしい。少し聞いた話では、集会、とか言っていた。
昨日は結局、三日ぶりに自分の家に帰った。うちの母親は本人曰く放任主義なので、友達の家に泊まってたと適当に言っておいた。ただの面相臭がりなような気もするが、
それでもオレのことを思ってくれているのは分かるので、甘えておく。
久しぶりの私服。数日の旅行から帰ってきて、"やっぱり我が家が一番"とよく言うものだが、オレにとっての制服と私服の関係もそんなようなものかもしれない。
レイさんからの借り物も、しっかり洗濯をしてアイロンをかけて、ついでに菓子折りも持ったので準備は万端。本当はクリーニングに出したかったが、いかんせん時間がない。
リンから聞いた話だが、レイさんは無類の甘い物好きのようで、なんとか菓子でごまかせるとのこと。"なんとか"ってのはひっかかったが、借りてしまったものはしょうがない。
レイさんに服を返すのにどんなセリフを言おうかと考えて、"これで勘弁しな"と言って服と菓子折りを投げる図を想像し、慌ててその考えを太陽系外に吹き飛ばしたとき、
リンとレイさんのマンションについた。たしか、二階の階段から二つ目の部屋。
「おっはよう拓斗くん!」
チャイムを鳴らすと間もなく出てきた、いつもの赤いリボンと髪型のリンは、客を迎える定番の挨拶も無しに、オレを部屋へと招きこんだ。
今日のリンはワンピースのようだ。やたらスカート丈が短くて、飛び跳ねるように歩くリンがそれを着ているのはある意味凶器。でかいティーシャツに見えるくらいだ。
「リン!!」
リビングにはレイさんがいるようで、そこへつながる廊下で声が聞こえた。どこか焦った感じがした。
さていよいよレイさんに服を返すときだと、一種の覚悟を決めてリビングに入った。
「そんな格好で男の前なんかに出るな! 見るなっ!!」
すぐ出た。
そこでは、リンに向かってレイさんが怒鳴っていて、オレの姿を見るや否や人差し指をこちらへ突き立てて声と目で脅された。
そんなことをされては、急いで出てドアを閉めるしかオレのすることはない訳で。
中では、
「えー? だって着替えるのめんどいんだもん。それにこの格好楽なんだよ、ティーシャツ〜。レイちゃんもしてみるといいよっ!」
「誰がするか! もう、とにかくこれを着ろ。仮にも女なんだ、着る物と人目くらいは気にしろ」
レイさんの奮闘が続いており、思わず笑い声がもれてしまった。
しかしすぐにハタと気付く。ティーシャツと言ったか、リンは。まさか本当にそうだったとは。神と仏と天狗に誓う、オレはティーシャツ以外の着衣は目にしていない、
していないとも。
しばらく中で今のような会話と着替えとは思えないような効果音が聞こえてきたが、
ようやく着替えを終えたリンと、年末の仕事を全て片付けたばかりのような表情のレイさんがリビングから出てきた。オレが結局何を言うか決められなかったので無言で
服と菓子折りを渡すと、まず服を取って、一瞬迷ったようだったが菓子折りも手にした。レイさんはそのまま自分の部屋に入っていったが、姿が消える直前、レイさんが
菓子折りを見て顔が少し綻んだのを、オレは見逃さなかった。
「じゃあ行こっか、拓斗くんっ!」
リンは玄関まで駆けて行く。跳ねるな跳ねるな、スカートなんだから。
「拓斗くん? 遅いよぉ!!」
玄関の外に出て、顔だけ覗かせて不満顔でそう言うリン。今日は手をひかれていない。
残念かどうかと聞かれれば、勿論イエス。だが、これでいい。リンはきっと、オレがついていくことを分かっているのだから。
どこへでも、行ってやる。
目的地は、昨日の公園から少し歩いたところにあった。といっても、グラウンドの隣にある、体育館のような建物だ。少し歩いたのは、入り口がグラウンド周りの散歩道
にしかなく、しかも一箇所だったため、グラウンド横断を余儀なくされたからだ。この建物の周りにも木々が並んでおり、やはり隔絶されているように感じた。
ところで、昨日は気にしていなかったが、この公園と建物、いつのまに建てられたのだろうか。ここはオレの家からそれほど離れておらず、また、オレは生まれてからずっとその家に
住んでいる。知らないというのはおかしい。しかしこの建物は、昨日今日建てられたような痕跡はなく、所々塗装が剥がれていたりと、多少の年季が感じられる。
「ねえリン、この建物っていつ頃からあるの?」
聞かずにはいられない。もしかしたらアンティーク調な作りなのかもしれない。
「んー? そうだなぁ、リンが生まれたときにはもうあったみたいだから……十五年は前だと思うよ」
「十五年?!」
声を上げてしまった。突然鳴り出したケータイを見るような表情のリン。周りには数人の人がいて、同様の顔でこちらを見ている。
オレは頭を下げつつ、考え込む。バカな、十五年も前からあって知らないというのはおかしすぎる。おかしいといえば、この建物の中もおかしい。入り口も体育館のような
微妙に重そうな扉だったのだが、中はいよいよ体育館。受付のような施設はなく、奥に舞台が見えるだけだ。かろうじてトイレのマークが舞台とは逆の位置にある。
一瞬どこかの学校の付属施設かと思ったが、あいにくオレの通う高校は方向が違うし、この近辺にそういった所はない。
「あ、アテナっ!」
今度声を上げたのはリン。オレはたぶん、突然鳴り出したケータイを止めた瞬間、またすぐに鳴り出したような顔をしているだろう。勿論、周りの人達も。
「リンさん? 今あなたと遊んでいる暇はありませんわ! 四人衆は忙しいのです。中級さんと違って」
「ちゅ、中級だっていいもん! リンは誰かと違って若いんだからさっ。……ねぇ? 特級魔人さん?」
そして、その場にいる人達の全員のケータイフルバースト状態のようなリンと雨宮さんのケンカが始まってしまった。リンもやめとけばいいのに雨宮さんに声をかけるし、
雨宮さんも雨宮さんだ。また例の常套句が浮かんだが、それは胸の奥へ。
「あら、またやってるのね」
リンと雨宮さんが子犬のじゃれ合いのようなことをしながら舞台のほうへ歩いていってしまい、なんとなく孤立してしまったとき、後ろから女の人の声。ピアさんだ。
「ここにいるってことは、魔法のこと信じてくれたのね。よかったわ」
「まだ信じられない、って感じがないわけじゃないですけどね」
ピアさんといるとなんとなく安心する。聖母のようだ。いや、実際聖母と呼ばれる人に会ったことはないが、きっとこんな感じなのだろう。
「あなたが拓斗さん、ですね? お姉さまから、お話を伺っております。わたくしは、スズカ、と申すものです」
聖母ピアに、何か祈りでも捧げようと考えていると、ピアさんの一歩後ろにいた、おさげの女の子がそう言った。えらくゆっくりおっとりとした口調と仕草で、
スロー再生でも見ているようだ。莉子とどっちがタレ目度が激しいだろうか。
「こちらは、コバルトです。今回、わたくしが育てることになった、魔法見習いです。何卒、よろしくおねがいいたします」
「……」
そして、そのスズカという女の子は、その隣にいた人を指し、自分のことのように紹介する。スロー再生で。
なんだこの人は。キツネとピエロを足して、キツネ耳をなくして、それを二で割ったような仮面をかぶっている。スズカさんはそのコバルトとやらの紹介を終えると頭を
下げたが、こちらは足の先から頭の先まで鉄パイプでも通っているんじゃないかと思うくらい微動だにせず、当然頭を下げない。さらには、だんまりだ。
「えっと、よろしくおねがいします。曇樹スズカさん」
なんとなく嫌な気分だったので、挨拶を返したのは、セリフと印象から、ピアさんの妹であろうスズカさんのみにした。
「スズカです」
しかし、スズカさんは少し困り顔になり、改めて名前を言った。もしかして、妹じゃなかったのだろうか。
「すいません、てっきりピアさんの妹さんかと……」
「いえ、わたくしは、ピアお姉さまの、妹です」
どういうことだ。
とりあえずオレは、スズカさんに先を促す。
「ただの、スズカ、なのです」
ただの、とは何なのだろうか。何か複雑な事情があって、苗字が違うとか、そういうわけでもなさそうだ。
「ああ、そうか。リンちゃんがまだ説明してないのね。あのコたまに抜けてるわよね」
要領を得ない。ピアさんが少し笑いながらそう言うが、結局この二人は何が言いたいのか。
それはそうと、リンが抜けていると感じるのはたまにではないような気がする。抜けているというかズレていると言ったほうがしっくりくるが、一日にケータイの二のボタンを
押す回数くらいはそういう印象を受けた。
「そうでしたか、すいませんでした。その話ならば、後ほど、シュラ様が壇上でされると思いますので、それをお聞きになれば、問題ないかと思います」
「うん、そうね。それじゃあ拓斗くん、わたしはやることがあるから、これで。あ、そうそう、コバルトは大会当日に拓斗くんと戦うことになるかもしれないから、
そのときはよろしくね」
つまりは何が言いたいか分からなかったが、とりあえず去っていく三人を見送る。ただし、体育館内の中での移動だが。ただのとか、大会とか、余計な謎を残されては、
誰に質問をぶつければいいんだ。リンは未だ子犬のままだ。そういえば、レイさんもいない。こないのだろうか。
「……まぁ、話を聞けば分かるんだろうな」
そして、オレは流れに任せる。
「それでは、魔集会を開会いたします」
ほどなくして、館内にアナウンスが入った。気付けば、その声はピアさんで、舞台横の縦に長細いテーブルの上にマイクを置いてある所にいた。館内が俄かに暗くなる。
いつのまにか周りはかなりの人で埋め尽くされており、リンを見失うほどになっていた。いきなり防音壁のある部屋に入れられたように静かになった館内では、リンを探す
ことはかなわない。
「まず、四人衆リーダー、天気シュラ様からの挨拶です」
舞台袖から人影が現れ、すでに舞台中央に設置してあるマイクの位置まで歩みを進める。全身を黒い装束で包み、一歩一歩、その歩を確かめるように進んでいる。
人影がマイクにたどりつくと、待ち構えていたスポットライトが当たる。
「話を始める」
低い声。オレはここまで低い声を未だかつて聞いたことがあるのだろうか。いやしかし、今そんなことはどうでもいい。あの男は、まさか。
「秀也……?!」
そこまで考えて、思わず声に出てしまった。周りの人まで聞こえたかどうか。
その壇上に、舞台の下にいる者を見下ろすような目を携えた男は、紛れもなく秀也だった。だが、なぜ秀也がここに。そして、なぜ舞台の上にいて、挨拶などをしているんだ。
天気シュラと紹介された、あの秀也は、一体何者なんだろうか。